呉外の弟・延とハル、そして二女・静代。山梨団体の入植の背景、山梨県立博物館の百年記録、晩年の葉書。二つの家をつなぐ記録。

網野ヒストリー

書き起こし方針:原文の語句・旧表記をできるだけ維持し、縦書きを横書きに改めた。手書きの葉書や不鮮明な複写部分で確信が持てない箇所は〔判読保留〕とした。収録画像には本文1ページ目がなく、2ページ目から始まっている。

扉の句

真帆片帆どちらを向くも長閑なり

又故山の土を踏まず 生く道に涼まん夏の己かな

網野ヒストリー

前書(収録画像は2ページ目から)

網野悦郎氏の著書で「父と故郷を想う」と云う小冊子がある。悦郎の父は時次郎で、呉外と言う俳号を持ち多くの句を残している。又、延も句を残している。

兄弟である。兄家族が北海道へ移住当時、大正十年八月二十三日にはハルと結婚する。このとき延四十歳、ハル二十四歳。大正十年十月二十日、長女アキが生まれ、大正十三年十一月十九日には二女として静代が生まれる。関東大震災の翌年である。昭和二年十二月二十二日には長男達男が生まれる。長女と長男は一歳にならず亡くなっている。

延は、達男が亡くなってから二年後に他界している。ハルは遺骨と二女、静代を連れて佐比内の実家に帰らぬ人となる。四十三歳という若さであった。悦郎の父、時次郎は姪の静代を案じ、入植地である北海道虻田郡で育てることを決心したが、静代は津軽海峡を渡ることはなかった。

背景

山梨県は明治二十九年、明治三十六年と相次ぐ水害に襲われた。特に明治四十年の被害は甚大であった。再起の念を捨て、新天地に希望を抱き、山梨県北留、東山梨、東八代郡などから約三十人が北海道南部にある羊蹄山の南麓、北東麓にかけての地域に集団移住した。網野家もその一員であった。

経済的にも家庭的にも相当厳しいものになっていた。明治三十九年に時次郎は妻と二番目の姉を喪う。それに追い打ちを掛ける大洪水に襲われる。時次郎と父六郎右ェ門(七十歳)、母かね、時次郎(三十四歳)、子悦郎(七歳)となった網野家は北海道に入植することになる。

故郷山梨を離れ北海道に入植する力を与えてくれたのは、俳句を愛し、俳句の同士の強い絆が後世に伝えたいとの思いで綴ったのであります。

三ページ

山梨県立博物館
明治四十年の大水害から百年 北海道編
時次郎氏の歌詩を紹介 現在の豊浦町山梨(平成十九年)

真帆片帆 どちらに行くも 長閑なり

「米キタ」「アスヤル」――明治四十年の大水害から百年

北海道編 4. 下山梨【ソータキベツ】その2 現在の豊浦町山梨(訪問日:平成19年7月30日)

9. 網野家元屋敷

山梨神社からさらに奥へ進むと、網野家が入植した当初の屋敷がありました。現在は冬季の豪雪を避けるために、山梨小学校付近の集落にお宅があります。網野家の左手の丘を登ると、この地の開拓に尽力した網野時次郎氏の墓碑があります。

10. 元屋敷付近からみる現在の網野畑

元屋敷付近では、広大な畑地が広がっています。

11. 網野時次郎句碑

網野さんの祖父で、この地に入植して開拓に尽力した網野時次郎氏を顕彰する碑が、元屋敷の裏手の丘に建てられています。

真帆片帆 どちらに行くも 風まかせ

「大正四年建立之」とあり、建立に携わった人々の名も記されていました。

12. 皇恩記念碑

元屋敷からさらに奥へ進むと、うっそうと草木が茂る中に石碑を見つけることができました(上)。網野さんの案内無しでは到底見つけることはできません。草木を取り除き、下のような石碑が姿を現しました。

この碑は、山梨団体の入植後に、北条氏恭侍従が入植地の視察に訪れたことを記念して建てられたものです。北条侍従は、移住者の鍋のふたを開けて生活の様子を見届けたとして、移住者を感動させたといわれています。

13. 共同小屋跡

皇恩記念碑のある丘を下ったところに、この地に入植した移住者たちが、当初共同で生活していた共同小屋の跡地があります。現在は、草木が生い茂るのみでその痕跡を見出すことは出来ません。

葉書

昭和49年、網野逸郎から静代宛て

拝啓

お変り無く何よりです。皆様、御元気の由、何よりの事であります。私共も変りありませんから御安心下さい。

それから治男の事で、祖父の命日との事。

右のふたりの父方祖父、母であります。

中段の数行は判読保留

皆様によろしく申し上げます。

敬具

昭和57年、網野逸郎から静代宛て

拝啓

皆様、御健勝の御事と存じ上げます。七月よりも御送り下さいまして有難うございます。

晩年の父となりまして、私も宗教心があらわれていますか。自分は 判読保留。貴女も仏道に入ったからは 判読保留。祖先の御供養の報をお経い致します。

先はお礼まで。皆様よろしく申し上げます。

敬具

昭和59年、網野逸郎から静代宛て

拝啓

御厚情の品、有難うございました。老後の想い出となりました。

結婚式には井上保君夫妻出席の由、私としても誠に嬉しく思います。

亡き叔父様もさぞ満足の事と思います。

先は御礼まで申し上げます。時季柄、御自愛下さるよう。皆様よろしく。

敬具

写真・資料ページのキャプション

9ページ

大正十年
延とハル結婚記念に撮った写真と思われる

10ページ

花巻市松園墓園に延とハルが眠る

延の句である

又故山の土ふまず 生く道に涼まん夏の己かな

11ページ

表紙の写真は網野悦郎とその姉である

日が経ちていつしか疎遠となりにけり

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